俺は、なぜアメリカに??

昔書いた、俺がアメリカを選んだ理由。 そして今俺は何を思っているだろうか・・。


------------------------- 昔話 -----------------------------


高2の終わり、大学入試に向け予備校を回わっている俺がいた。

駿台、河合、代ゼミいろいろ行きました。
体験クラスなんかもあり、そのクラスの終わりにそこの先生は
「ずっとペンを持っていた奴は受かる。」
なんて言っていましたっけ。

そんな時、俺はこれで良いのかって思い始めたわけで。
予備校→大学→就職→退職→余生…

決まりきった世の中で、決まりきった道を行く。
ベストかもしれない、でも俺にはできなくなっていた。

俺には先が見えないからこそ進むのであって、先が見えている道なんて進む価値なんてない。
そう思った。








一ヶ月考えた。
そして出た結論


「アメリカに行こう!」

俺は自分を試してみたかった。
それに失敗したところで何か無くすわけでもない。

俺には無くすものなんて何もない
それは少しさびしい事だが
それが俺を自由にする。




親に話した。
すんなり了解してくれた。

俺は結構親に信頼されているほうだ。
俺の事を友達に聞いても十中八九お前は真面目だと答える。

親も友達も知らないのだろうか?
真面目な奴ほど危ういって。



俺、実は英語苦手だ。

TOEFLの点数上げるために塾に通う。
半年で3~40万くらい払っただろうか?
スコアが500いかなかった。

アメリカの大学を探した。
どこかの留学を斡旋する会社では、
入学の手続き、在学中の面倒、卒業後のアフターケアーで、
300万いるって言っていたっけ。



無料留学相談に何回か行って
ほしい大学の情報だけもらう事をしていたっけ。

TOEFLの点数が低かったので
二年制の大学のSanta Monica Collegeに行く事にして、
留学相談のお兄さんに、
「もう来ません」 と言ったら、
「一人じゃ手続きとかに不備があったりするからうちの会社を通して申し込みな」 しつこく頼まれた。
会社を通すと、なぜか20万くらい別に手数料かかるのが嫌で、丁寧に断り帰宅した。



高校卒業した年の5月にSanta Monica College の合格通知が届き、
パスポート、ビザを取り、そしてアメリカ、ロスアンゼルスまでの片道切符を買った。


インターネットでサンタモニカを調べる。

空港からバスで20分。
近いんだ、と思う。
線が10数本ほど引かれているようなサンタモニカの地図をプリントアウト、
そしてバスの名前と番号をメモって準備終わり。
泊まる所なんて、どこにでもあるだろう、と思い家を出る。

成田空港に着いた。

友達一人と家族が一緒に来てくれた。
家族総出だったかな?

みんなといる時は寂しくもなかった、
でも飛行機に乗り込む時、寂しく思えた。



そして飛行機はアメリカに向けて飛び立った。








飛行機に乗ったのはこれで二度目。
初めて乗ったのは自衛隊のP3C。

うわさ通りに機内食はまずく、
想像以上に機内はうるさく、ただじっと着くのを待っていた。


  ・
  ・
9時間後、飛行機はアメリカ上空まで来る
不安でいっぱいの俺。
でもこの緊張感、俺は好きです。



アメリカ、ロスアンゼルス空港到着。
ロビーには人であふれ、たくさんの人が到着する人を待っています。
一人ロビーを抜ける俺、この感覚好きです。


建物の外に出て初めてアメリカの空気を感じた時、
7月なのに寒かった。
でも日向に出ると焼けるように暑かった。



さてと、サンタモニカへ向かうバスは…

どれ?
小型のバスから大型のバスまで10数種類あります…

頼りないプリントアウトした紙には
Los Angeles空港#3バスへ乗れ、と書いてありるだけ。

空港の周りをさまようこと1時間ちょっと。
ねえよーと思い名前に一番近いと思われる LAX#3Bus に乗る。

結局それが合っていたんです。
今でもLAXの意味がわかりません。



で、どこでバス降りればいいのです?
紙には乗れとしか書かれていなかった。

えーい、人任せ!
大勢降りたぞ、俺も降りよう!

で見事に失敗。
どこを見渡しても普通の駐車場…




と、すぐそばに黒人の太ったおばちゃんがいるではないですか、
そうだ勇気を振り絞って聞いてみよう!!


俺 「Execuse me, where is Santa Monica Big Blue Bas?」

黒人のおばちゃん 「I don't know.」

俺 「Execu・・・」

黒人のおばちゃん 「I said I don't know!!」(怒)


俺初めての英語で初めてのカルチャーショック。


駐車場をはうこと2時間…運良くバスが集まるターミナルにたどり着く。




バスターミナルで待つ事10数分。
紙にはSanta Monica Big Blue Basの#3に乗れ。15分後、そこがサンタモニカだ。


目的のバスが来て、バスに乗る事30分…
うぉい、乗り過ごしたじゃないか。

隣のおじちゃんに「Where is Santa Monica College?」って言っても通じないし…
おし、人任せ作戦再実行!!(こりていない俺)
人大勢降りた、俺も降りた。

で、家を出る前にプリントアウトした地図を取り出す。


10数本の道の地図、役立たずだった。


道を歩く白人のおばさんに聞いてみる
おばさん「I'm a tourist」と言って、店の中の人に聞いたら良いよ、と言ってくれた。

お店の中にいた白人のお姉さんがいた。
サンタモニカカレッジまでの行き方をあのつたない地図を使って説明してくれた。
お姉さんに、歩いて行く、と行ったら驚かれた。

白人の人ってなんて優しいんだ、それにひきかえ黒人のババーめ、ともう既に人種差別をし始める俺。


2時間か3時間か延々と照りつける日差しを浴びながらキャリーバックを転がす俺。
もうすぐだろうと思い、でも一応道を聞くためにモーテルに入る。
受付のおじさん、あと5ブロックほどだよ(徒歩20分)と言われ、そこで力尽き、そこを宿とする。
(モーテル:車で旅行している人用の小さい宿(駐車場がついている))




今の俺だったら空港からサンタモニカカレッジまで1時間ぐらい。
当時の俺は6時間ほどかかった。しかも荷物を抱えて。

タクシーを使えば良いものの、それをけちってバスに乗り込む俺。
タクシー代の20ドル(2400円)を取るかバス代のの50セント(60円)を取るか?

あなたなら、どちらを取りますか?







住む所を探して1週間
いまだにモーテルに滞在している俺。
ここの宿泊料、結構高いんです。
50ドル。

まず最初に行ったのがホームステイ斡旋会社。
飯無しで1ヶ月700ドル
飯付で900ドルくらいだったかな。

簡単に予算オーバー。



大学のカウンセリングオフィスにルームメイト募集等をまとめた紙がある

1カ月450ドルで個室あり。

英語がしゃべれない俺。
そこのオフィスに日本人のアシスタントが電話して聞いてくれた。

アシスタント、「アポイント取ったから今から見にいきな。そこ学校からすぐだから」


行ってみた。
学校から徒歩10分、部屋も結構広いし家具が付いていた。
気に入った風にしていると、そこに住んでいる中東系の男がなにかごねっている。
どうも住めないらしい。


学校に戻って日本人のアシスタントに聞いてみた。
アシスタント、電話をかける。

アシスタント「大家がいないから住めないって。大家がいつ来るかわからない、って言っている。」
アシスタント「違う所を探した方が良いよ、僕も手伝うから。」

こいつ口だけだな、そいつの目を見て思った俺。


それから、俺のつたない英語で住む部屋を求めて電話しまくる日々が続く。
「I'm looking for room」 アメリカ来たての俺、もう破れかぶれ。

大学のオリエンテーションの時知り合った日本人にホステルを勧められる。
ホステル:1部屋を数人がシェアをする宿泊所。ただ安かった。(一泊20ドル、奇妙な飯付き)




ホステルに移って一週間。
住む部屋を見つける。

1カ月550ドル。ロシア人の飯無しホームステイ。



3ヵ月後…
出て行く決心をつける。

俺の部屋が無駄に広い。10畳ぐらい。
部屋がとても暗い。2個の20ワット電球しかない。(卑しくも取り替えれない)
シャワーがちょろちょろとしか出ない
ロシア人との会話がほとんどない。



住む部屋を見つける。

1カ月330ドル。個室。期間4カ月。


ルームメイトが4カ月間ほど国に帰るのでその間だけ住む事になる。
そのルームメイト、俺に鍵も渡さずに国に帰る。
俺、かなりトラブッた。


引越し3日前、
日本からEメールで、じいちゃんが死んだのを知る。
ショックだった。帰りたかった。
結局帰れなかった。今でも後悔している。




3カ月経ち部屋を探し始める。
国に帰ったルームメイトの紹介で部屋が見つかる。

1カ月350ドル。巨大なリビングルーム。
タクシードライバーの黒人のおっさんがルームメイト。

この人はとても良い人だった。
朝寝坊してしまった時、タクシーで学校まで送ってくれた。
学校の前でタクシーを降りた時、少し金持ちの気分になった俺。

だが学校から遠かった。
バスと徒歩を合わせて1時間20分。

2カ月後、また部屋を探し始める。

“Looking for room”と学校のカウンセリングオフィスにあるルームメイト募集用の紙に載せる。

1週間ほどで、部屋が見つかる。

1カ月275ドル。個室。家具付き。学校から50分。電気代ガス代込み。

俺は運が良い、と思った。



が俺を待ち受けていたのは、“Low 家賃, High risk.” だった。

そして、【ババープロフィール】へ






~番外編~

俺、車にひかれる。

夜中の12時ごろ、友達の家から帰宅する時だった。
外はめずらしく雨、そして傘が無い。
帽子付きの黒いジャージを頭からかぶり交差点を渡っている時…



キキー  ドンっ


俺ひかれた。




ひかれた、と言うのは少し大げさだった。

正確には
強力なヒザカックンを車に食らって俺は車のフロント部分に乗り上げた、です。


信号は青だった。
交差点を左折しようとした車。

車から動揺した黒人の兄ちゃんが出てきた。

黒人の兄ちゃん「I didn't see you!!」
繰り返す事3~4回


黒人の兄ちゃんのセリフが続く。

「You wear black jacket.」
繰り返すこと3~4回。


別に痛くも無かった俺だったが、
この黒人のアホは全く謝ろうとしないのに俺怒りだす。

「You should see me! You have to be careful when you cross the street! NO matter what!」

が、この黒人のアホ、謝るどころか同じセリフを繰り返すだけ。



夜中の12時、
周りには誰もいない。
いるのは、目の前にいる黒人のアホだけである。

警官を呼んでもよかった。

が俺考える。
I'll call police.
と言ったとする…
黒人のアホ、自分の車に戻って銃を取り出し、
「Fuck You!!」
ドキューン ドキューン ドキューン

俺、射殺されかねない。



アメ人で黒人。
アメ人:“唯我独尊”思想を持つ。  黒人:脳みそ筋肉の人種。

こんなの相手にしていて死んだら目も当てられません。
幸い俺に怪我が無かったので、
「I'll be OK. You can go.」
と言って黒人のアホを立ち去られた。


(唯我独尊:世の中で自分ほどえらいものはないと、うぬぼれること。 )

黒人の中にも5人に1人は良い奴はいます。
が5人に4人はアホです。(俺的経験より)




もし俺が車にひかれて死んでいたとしたら

俺の両親にどう申し開きをしたら良いのかわからない。
どう謝れば良いのか。
死んでいる俺には口無い。

勝手にアメリカに行って勝手に死んだアホ息子。

土下座しても足りない。
唯一、切腹でもすれば俺は親に謝れたって思うだろう。(もう死んでいますが)

俺には何も無い、でも親だけが気がかり。





アメ人用のセリフ。
  Justice is come!!
  Justice shall be done!
  Honor me!

人をはねても謝らない国。
彼らにとって黒い服を着ていた俺が悪で、自分らは正義なんだろう。



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そして2年後。今の俺の心境・・・、
次回更新。。